日々ログ

未来の自分へそっと残す、ゆるい日々のログ。

「日々ログ」という場所について

このブログ「日々ログ」は、日々の出来事や考え、感情を、未来の自分のために記録している個人ブログです。
読まれるためというより、戻ってこられる場所として書いています。

20年ほど前の話です。
「どう書けば読まれるか」を考えていました。

書き出し、構成、オチ。
役に立つかどうか。
ちゃんと伝わっているか。
どうしたらホームページのアクセスが増えるか。
リピーターはどうすればつくのか。
その甲斐あってか、ホームページは書籍化されました。
元々のホームページをMovable Typeを使ってブログ化したのもその時期か。

ただ、考えれば考えるほど、書く前に立ち止まる時間が増えていきました。

気づいたら、書くことよりも、考えごとのほうが増える。

「書くことは、考えることが9割」

なんて言いますが、結局書き上がらないなら、その考えとはどうなのか。
ブログの更新は止まりました。
一方で書き上げた自分の記事への愛着もなく、読み返すこともありません。

悪いとは思いませんが、残念に感じました。

書き方の本、文章読本系をたくさん読んだ。

ターゲットを設定する。
相手のことを考えて。

大事なんでしょうね。
でも、もう自分にはダメ。

読んでくれる人をターゲットなんて何様?
相手のことを考えられるほど、できた人間でもないでしょ。
書けない理由が増える一方。

媚びへつらおうとすればするほどやっぱり書けなくなる。
読めば読むほど、書く気は失せていきました。

自己肯定感を満たすため、自己有用感を持ちたいがために書いていたんでしょうね。

これまた悪いとは思いませんが、アクセス数で満たそうとしている時点で地獄。
満たされる前に疲弊していく。


5、6年、ほとんどブログを触らなかったのがよかったのかな。
アクセスとかどうでもいいから書いてみようという気になりました。

「実名で書けないこと書いてもしょうがない」

みたいなこだわりも消えました。
20年前に一発当ててしまった、その呪縛から解放されたのかな。

匿名で楽しく書く。
自分だけが、自分を日々ログの作者と知っている。
登場人物も全て仮名。

自分しか読まないような日常のメモみたいなものを記事にしていく。

「誰が読むねん。俺」

みたいな。
ただただ日々の出来事や考え、感情を、未来の自分のために記録していく。

「家で日記を書いてろよ」
スマホでジャーナルつければいいんじゃないの」

そう思う。
読まれるためというより、戻ってこられる場所として書くだけなら、それでいい。
でも、1年ノートに書いてみて、なんか違うと感じてしまったのだからしょうがない。

読まれるために書いていないけど、読まれるかもしれないという緊張感は必要みたい、私には。
そして書いたあと、バランスをとる言葉を入れる。

「知らんけど」

関西の親戚一同の口グセであるこの言葉は、最強です。

「あのおじちゃんが言うてたと思ったけどな、知らんけど」
「でも、そのやり方って時代遅れもええとこちゃう?知らんけど」

最強の責任放棄。
重荷ゼロ。

これが日々ログの哲学かもしれません。
知らんけど。

※この文章も、あとで書き変わるかもしれません。知らんけど。

迷ったとき戻れるように、静かな目次を置いています。


日々ログ

千石弥一